
個人のプライバシーが重視されていく一方で、自らプライベートな情報をネット上に公開するブログの人気は衰える気配がない。更にはfacebookやtwitterといったネットワークサイトにも登録するユーザーが急増している。なぜ今人々はそれまで守ってきたプライバシーをある意味軽視してまでも、インターネットという無国籍社会の中であえて自らをさらけだし始めているのだろうか?
昨年末の表参道。イルミネーションが復活したとあって週末の人手は想像以上だった。何より驚いたのが、その多くが手に携帯電話を握り我先にとそのイルミネーションを背に写真を取り合っていたことだ、更にその場で撮ったばかりの画像を自らのブログにアップしている者さえいる。彼らはレストランに行けば料理の画像をすかさずアップし、友達に会えばブログ用にまた写真を撮る。「今日は表参道に行きました」「表参道ヒルズでパスタを食べました」「友達の○○で〜ス」という感じで有名人ばりにその私生活を事細かくネット上で報告していく。
悪いように考えれば、いくらでも犯罪に使える個人のネタがネットには溢れているのだ。それでもブログを続けるのはリスクを冒してでも得たい自己満足そのものであろう。作った料理の画像をアップしてどっかの誰かがコメントを書く、そのうちどっかの誰かに見てもらいたいが為に料理を作るようになる。出かけた日や何か面白いことをした日にブログを書いているうちに、ブログを書くために出かけたり何かに挑戦してみるようになる、日々ブログのネタ作りに励む人間も少なくはないのだ。
「友達や家族と連絡をとってみよう」といったタレこみのFacebook。世界中で多くのユーザーが自分の本名をフルネームで登録、更には自らの顔写真を掲載。それで知り合いに検索してもらったり知り合いを検索したり・・という訳だ。過去の記憶をさかのぼり「あの人どうしているのだろう」と思う人物のフルネームを入力して検索すると・・出てくる出てくる――数年は連絡を取っていなかった懐かしい顔たち。彼や彼女が今どこで何をしているのかがネットで分かる上連絡先の交換だってでき、新たに交際をスタートできるかもしれない。
一見いい事ばかりに感じるこのようなソーシャル・ネットワーク・サービスサイトだが、この便利さが私には最近しっくりこないのだ。人は恋人や友達などとの様々な出会いと別れを経験していく中で刺激を受けたりせつなさやもどかしさを繰り返しながら成長していく。そしてそこには「あるべき別れ」というものが存在すると思う。「会いたい人に会えない」という状況も時には必要だと思うのだ。だから私はfacebookには登録しない。過去に出会って別れた人たちを思い出のままとっておき、新しい今を楽しむために。
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